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いにしえの頃より、祈りと海に生きる人々が暮らす島があります。
これといって何もないように見える島ですが、人が生きていく上で一番大切なものが脈々と守られてきている島。 久高島。 そう・・・私が先日訪れた島です。 そのときの記事はこちら 沖縄本島の南東部に位置する、久高島は 琉球の創世神であるアマミキヨが、国づくりのために降りた島。 ニライカナイ(理想郷)にもっとも近いといわれている聖地です。 そんな、久高島の日常を捉えた「久高オデッセイ」という記録映画があります。 京都大学 稲盛財団記念館で行われた、 こころの未来研究センターシンポジウム 「沖縄・久高島のワザとこころ~その過去と現在」にて 「久高オデッセイ」第2部『生章』を見る機会に恵まれました。 久高島といえば、イザイホー。 1978年を最後に行われなくなった今も、久高島の人々は日々の祈りを重ねています。 イザイホーをはじめ、多くの沖縄の祭祀を撮り続けたカメラマン比嘉康雄さんと親交のあった映画監督の大重潤一郎さんは、イザイホーのない久高島を十数年撮り続けてきました。 何気ない日常 何気ない風景 そこでひっそりと行われるささやかな祈りの場面。 それは何も特別なことではなく、あるがままの姿。 しかし、どう生きるかを示す全てがある。 天と地と海。 物質社会の今、 近代の波に流されず、脈々と続く「神への祈り」を守ってきた久高島は、 私たち魂の原点ではないのかと考えさせられます。 どんな時でも手を合わす 「祈り」の姿が印象的な映画でした。 PR |
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